『太陽光パネルの下の闇』〜正義の暴走と法の沈黙〜

導入:教科書の正義
「持続可能な開発目標(SDGs)」。この言葉を聞かない日はありません。中学校の公民の教科書は、持続可能な社会という項目からはじまり、再生可能エネルギーへの転換こそが次世代への責任であり、化石燃料からの脱却が「絶対的な正義」であると記されています。その理念自体に反対する人はいないでしょう。しかし、教科書は常に「あるべき理想」しか語りません。
展開:現実との矛盾

しかし、現実は理想通りには進みません。地方の山間部を埋め尽くすメガソーラー。その黒いパネルの海は、かつて水を保ち、土砂崩れを防いでいた森林を伐採した跡地に広がっています。「地球環境(CO2削減)」を守るために、皮肉にも「地域環境(防災機能・景観)」が破壊されるというパラドックス(逆説)。大雨のたびに濁流に怯える住民の姿は、教科書の美しい挿絵には決して描かれることはありません。
分析:法務博士のメス
なぜ、このような本末転倒が起きるのか。
法的な視点で解剖すれば、ここには二つの致命的な「バグ」が存在します。
第一のバグは、「手段が目的を殺している」という論理矛盾です。
「CO2削減のために化石燃料を減らす」「ビルの屋上などを活用する」。これらは合理的です。しかし、「地球環境を守る」という大義名分を掲げながら、自然界の貴重なCO2吸収源であり、防災の要(かなめ)でもある「森林」を伐採する。
ここに決定的な「自己矛盾」があることに気づかないのでしょうか。あるいは、見て見ぬふりをしているのでしょうか。いずれにせよ、これを「本末転倒」と言わずして何と言うのでしょう。

第二のバグは、「立法段階における利益衡量の欠落」です。 事業者は「経済活動の自由」を、住民は「生存権」を主張します。本来、法とはこの両者を天秤にかけ、調整(利益衡量)するシステムです。 しかし、今の乱開発は、国がその調整を現場に丸投げした結果です。「森林伐採は原則認めない」「災害リスクを計算に入れる」といった安全装置を、法律を作る段階で組み込んでおくべきでした。 その初期設定を怠った今の再エネ行政は、まさしく「立法の不作為(怠慢)」と言わざるを得ません。
結論:大人の解釈
したがって、我々には「SDGs」というラベルを見ただけで思考停止に陥らない、冷徹なリテラシーが求められます。
目的が正しくても、そのプロセスで誰かの基本的権利が不当に侵害されているならば、それは「正義」ではなく単なる「多数派の暴力」になりかねません。真の持続可能性とは、スローガンの中ではなく、法と合意形成という地味な手続きの中にこそ宿るのです。
結局のところ、今の日本の再エネ行政は、「性善説に基づいた泥縄式のツギハギ」でしかありません。
最大の悲劇は、一度認定されてしまえば「やったもん勝ち」がまかり通る法的構造と、それによって失われた自然環境の「不可逆性(取り返しがつかないこと)」です。
震災というパニックの中で作られた法律が、皮肉にも次の災害の火種を撒き散らしている。
我々は「有事の熱狂」の中でも、いや、有事だからこそ、冷徹に「最悪のシナリオ(万が一)」を想像し、平時から準備しておくという「リスク管理の思想」を、立法府に対して強く求めなければなりません。
あなたの住む地域では、メガソーラーの問題は起きていませんか? 賛成・反対、どのような意見でも構いませんので、コメント欄で教えてください





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