【鎌倉幕府の真実】なぜ「御恩と奉公」は最強だったのか?――政府系サラ金(出挙)から脱出した日本人の「資産防衛」の歴史
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※制度の基本(1185年vs1192年など)をおさらいしたい方は、先にこちらの基礎編からお読みいただくことをお勧めします。
「御恩と奉公」。
歴史の教科書では、将軍と御家人の「絆」や「道徳」の話として語られます。
しかし、その本質は道徳ではありません。
これは、「国にすべてを搾り取られる奴隷的な働き方」から、「自分の利益を自分でコントロールできる自営業的な働き方」への、壮絶な脱出劇だったのです。
1. 教科書が教えない「3%の税金」の罠
中学の歴史の教科書を見ると、律令時代の税金「租(そ)」は収穫の約3%だと書いてあります。
現代の消費税や所得税よりはるかに安く、一見すると「天国」のようなシステムに見えます。
では、なぜ当時の農民たちは田んぼを捨ててまで逃げ出したのでしょうか?
その答えが、この表に隠されています。
【図解】教科書の「建前」vs 律令システムの「真実」
| 項目 | 教科書の「建前」 | Dr.Kが暴く「真実」 |
|---|---|---|
| 租(そ) | 収穫のわずか3%。 「非常に軽い税金です」 | 出挙(利息50%)の罠。 強制ローンで収穫の半分以上が消える。 |
| 調・庸 | 地方の特産品や布を納める。 「地域貢献の仕組みです」 | 自腹の「死のロード」。 京都への運送費・食費は全て自己負担。 |
| 雑徭・兵役 | 国のために働く・守る。 「国民の義務です」 | ただ働きの労働搾取。 年間60日の無償労働で、自分の田んぼが荒れる。 |
| 最終的な結果 | 平和な農耕社会 | キャッシュフロー破綻 (夜逃げ・自己破産) |
※現代の「額面と手取りの差」と同じ構造が、1200年前から存在していた。
口分田を捨てて逃げ出した理由について、教科書は「本人が死んだら口分田を国に返さなければならないから」と言いますが、理由はもっと切実です。「生きているだけで赤字(キャッシュフローの破綻)」だったからです。
当時の「公地公民(律令OS)」には、表向きの税率3%の裏に、恐ろしい「付加価値税」と「強制ローン」が組み込まれていました。
- 「調・庸」の地獄: 布や特産品を「京都まで自腹で」届けなければなりません。
往復数ヶ月の食費も旅費も自分持ち。
届ける頃には、家族全員が餓死するレベルの負担です。 - 「出挙(すいこ)」という名の政府系サラ金: これが決定打です。
「春に種もみ強制的に貸し付けられ、秋には1.5倍にして返さなければならない『出挙(すいこ)』。
もし不作で米が取れなくても、この借金が消えることはありません。
現代の消費者金融でも、利息50%(年利ではなく数ヶ月で!)なんて条件はあり得ません。
まさに国が主導する合法的なサラ金です。
拒否権はありません。
3%の税を払った後、この「50%の利息」を引かれれば、手元には翌日の食べ物すら残りません。
教科書の3%という数字は、単なる「見せ金」であり、実際は100%を超える搾取が行われていたのです。
2. 武士の誕生:実力はあるが「登記」がない個人事業主
この地獄から逃げ出すために、人々は田んぼを捨てて森に逃げ込み、勝手に土地を切り拓き始めました。
これが「武士(開発領主)」の誕生です。
彼らは、国(京都)という「ブラック企業」からドロップアウトした、いわば「アウトローな個人事業主」でした。
自分たちで武装し、国の徴税官を追い払い、汗水垂らして作った収穫を自分たちで守る。
彼らにとって土地は「国からの借り物」ではなく、「血を流して守り抜いた自分たちの資産(ストック)」でした。
しかし、彼らには致命的な弱点がありました。
それは、その土地を自分のものだと言い張るための「法的なお墨付き(登記簿)」を持っていないこと。
常に京都の貴族から「不法占拠だ」と脅される不安定な立場だったのです。
3. 頼朝のハッキング:報酬システムの「逆転」
1185年、源頼朝が行った「御恩」の真実。
それは、このアウトローたちの「実地支配」を「法的な権利」へと格上げし、プロデュースしたことでした。
ここで、画期的な「権利の二階建て構造」が生まれます。
🏠 頼朝が設計した「権利の二階建て」ビル
京都の貴族・寺社
「登記簿上の所有権」は持っているが、現場には行けない。
武士から送られてくる「地代(年貢)」を待つだけの立場。
鎌倉の武士(御家人)
【実権を完全掌握】土地の入口を封鎖!
軍事・警察・徴税の全権を握る。収穫からまず「自分の取り分」を引き、残った分だけを2階へ送る。
Dr.Kの解説: 1階の玄関(現場)を武士が占拠したため、2階のオーナーは武士の機嫌を損ねると一銭も入ってこなくなりました。これが、頼朝が行った「実効支配」のリーガル・ハックです。
現代で言えば、「ビルの所有者は京都の大家さんだが、家賃回収と管理の全権は、鎌倉が指定した管理会社が握る」という状態です。
さらに頼朝は、武士たちに「源泉徴収権の逆転」を認めました。
- 旧OS: 「国がまず全部取る。残ったカスがお前のものだ」
- 新OS(鎌倉): 「武士(地頭)がまず自分の取り分(経費)を引く。残った分を京都に渡せばいい」
サラリーマン(源泉徴収)から、「先に経費を引いて利益を確保できる個人事業主」へのシフト。
この報酬革命こそが、武士の熱狂を生んだのです。
頼朝が天才だったのは、実務的な『報酬システム(御恩と奉公)』を作ったことだけではありません。
彼は、自分の中に流れる『源氏(元皇族)という高貴な血』を、武士たちの権利を守るための『最強のブランド』として利用したのです。
現場で汗を流す『武装農民』たちと、京都のOSを知り尽くした『皇族の末裔』。
この【現場のパワー】×【中央の権威】という異色のコラボレーションこそが、800年続く武家社会の扉を開いた本当の鍵でした。」
4. なぜ「一所懸命」は最強だったのか
| 比較項目 | 平安・公家OS | 鎌倉・武家OS |
|---|---|---|
| 報酬の種類 | お給料(地位や現金) | 土地(資産の所有権) |
| モチベーション | 出世のため | 一所懸命(自分の財産維持) |
| 現代で言えば | サラリーマン(手取り重視) | 株主・経営者(配当重視) |
自分の取り分を先に確保できる仕組みにおいて、土地の収穫が増えることは、そのまま自分の資産価値が上がることと直結します。
だからこそ、武士たちは「一所懸命(一つの場所を命がけで守る)」に土地を耕し、農民を大切にし、外敵から領地を守りました。
「もし幕府が負ければ、自分たちはまた、身ぐるみ剥がされる『サラ金地獄の小作人』に逆戻りしてしまう」。
この恐怖と、資産を守るためのインセンティブが、鎌倉武士を異常なまでに強くしたのです。
5. 現代への警告:私たちは「令和の律令国家」に生きていないか?
歴史を学ぶ本当の意義は、ここから「現代の示唆」を得ることにあります。
【比較】令和の日本は「律令時代」に先祖返りしている?
| 比較項目 | 平安OS(公地公民) | 令和OS(現代日本) |
|---|---|---|
| 主な負担 | 出挙(利息50%の強制サラ金) | 社会保険料+消費税 (手取りを削り続けるステルス負担) |
| 労働の性質 | 雑徭(期限付きの強制労働) | 非正規雇用・登録型派遣 (身分保証のない「使い捨て」労働) |
| 支配者の建前 | 「国のための義務」 | 「全世代型社会保障」 (現役世代に負担を押し付ける大義名分) |
| 国民の抵抗 | 夜逃げ・浮浪・勝手な出家 | 非婚・少子化・海外流出 (システムへの再生産拒否と脱出) |
参謀の補足: 律令時代の農民が「田んぼ」を捨てたように、現代人は「結婚・出産」という未来への投資を捨て始めました。負担が限界を超えた時、人はシステムから静かにログアウト(逃亡)するという歴史の教訓です。
負担率が6割に迫り、税金や社会保険料は上がり続けるのに、手取りが増えない現代日本。
これは、形を変えた「令和の公地公民」ではないでしょうか。
頑張って働いても、不透明な手数料や社会システムによって利益を吸い上げられ、可処分所得(手残り)が減り続ける構造は、あの「出挙」に苦しんだ農民たちの姿と重なります。
今の日本に必要なのは、頼朝がかつてやったような「システムの書き換え」です。
既存のルールに身を任せるだけでは、私たちはボロボロに搾取されるだけです。
- 自分の「知性と資産」をどう守るか?(本領安堵)
- 依存から脱却し、自分の足で立つための「専門性」をどう磨くか?(一所懸命)
800年前に鎌倉武士たちが、絶望的な搾取の中から「自分たちの幕府」を築き上げたように、私たちもまた、自分の人生の主権(オーナーシップ)を取り戻すための「知的な武装」を始めなければなりません。
教科書が語らない不都合な真実の先にこそ、あなたが自由を勝ち取るための『鍵』が眠っています。

https://society.ma7bi-ba.com/2026/02/10/junior-high-history-...



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