【中学歴史】鎌倉幕府は「イイクニ(1192)」じゃない!?〜1185年に始まった『土地』をめぐる大革命〜

鎌倉幕府の「誕生日」が変わった理由

今日は、多くのお父さん・お母さんが「イイクニ(1192年)つくろう鎌倉幕府」と覚えた、あの歴史の常識についてお話しします。

実は、今の教科書(東京書籍など)では、鎌倉幕府の成立は1185年が有力視されています。
テストでも「実質的に幕府が始まったのは何年?」という問いには1185年と答えるのが正解です。

なぜたった7年でそんなに揉めているのか? それは、この年に始まった「ある仕組み」こそが、武士の政権の本当の正体だからです。

🎓 学習・復習用ガイド

  • 📌 単元:3 中世の日本 > 10 武士の政権の成立②
  • 📖 項目:1⃣(1) 鎌倉幕府のはじまり
  • 📘 塾テキスト:P.50 ~ 51
  • 📒 教科書(東書):P.70 ~ 75

守護と地頭:警察権と集金権のセット

1185年、源頼朝は対立する源義経(よしつね)を捕まえるという名目で、朝廷(後白河法皇)に、「守護(しゅご)」「地頭(じとう)」を全国に置く権利を認めさせました。
ここが歴史のテストで最も狙われるポイントです。

役職名置かれた場所主な仕事(OSの役割)
守護ごと
(今でいう都道府県)
軍事・警察権(犯人逮捕)。
軍勢をまとめて、国の治安を守る。
地頭荘園・公領ごと
(今の私有地や公共地)
土地の管理・徴税(年貢の徴収)。
収穫した米を自分と将軍のために集める。

それまで警察権力も年貢の徴収権もすべて「天皇(朝廷)」が握っていましたが、頼朝がこの二つを合法的に奪い取った。この「実利」を握った1185年こそが、実質的な幕府のスタートなのです。ちなみに1192年は、頼朝が「征夷大将軍」という役職(免許証)を後から貰っただけの年に過ぎません。

鎌倉幕府のしくみ(中央と地方)

将軍(鎌倉殿)

侍所
(さむらいどころ)

軍事・警察
御家人の統制

政所
(まんどころ)

財政・一般政務
(元:公文所)

問注所
(もんちゅうじょ)

裁判・訴訟
記録の管理

地方(国や荘園)の支配

守護

国ごとに1人
治安維持

地頭

土地ごとに多数
徴税・管理

御恩と奉公:武士たちの「命がけの雇用契約」

頼朝(将軍)と部下の武士(御家人)を繋いでいたのは、友情や忠誠心だけではありません。
「土地」を仲立ちにした、非常にシビアなギブ・アンド・テイクの契約でした。

これを御恩(ごおん)奉公(ほうこう)といいます。

  • 御恩(将軍から): 御家人が持っている土地の所有を認め(本領安堵)、手柄を立てれば新しい土地をプレゼントする(新恩給与)こと。
  • 奉公(部下から): 将軍のために、いざという時は命をかけて戦うこと、また京都や鎌倉の警備をこなすこと。

【図解】御恩と奉公(武士のギブ・アンド・テイク)

将軍(鎌倉殿)

▲お返し(奉公)

軍役 (戦い)
番役 (警備)

ご褒美(御恩) ▼

本領安堵 (土地)
新恩給与 (土地)
御家人(部下の武士)

※土地(ストック)を仲立ちにした、今の給料(フロー)とは違う強い絆。

一所懸命(いっしょけんめい)のルーツ

私たちがよく使う「一生懸命」という言葉。もともとは「一所懸命」と書きました。
これは武士たちが「自分に与えられた『一つの場所(土地)』を、命を懸けて守る」という覚悟から生まれた言葉です。

当時の武士にとって土地は生きるためのすべてでした。この「土地という具体的報酬」があったからこそ、幕府という組織は鉄の団結を誇れたのです。

まとめ:鎌倉幕府の仕組み

テストで100点を取るための重要ポイントです。

  • 1185年: 守護・地頭の設置。武士が実権を握った歴史的転換点。
  • 1192年: 源頼朝が征夷大将軍になり、名実ともに幕府が完成。
  • 御恩と奉公: 土地を報酬にする、将軍と御家人の契約関係。
【暗記チェック】一問一答(テキストP.51より) 枠内の「正解」にカーソルを合わせる(またはタップ)と答えが表示されます。全問正解を目指しましょう!
① 源頼朝が義経を捕まえることを名目に国ごとに置いた役職は?
➔ 正解:守護
② 鎌倉に幕府が置かれていた、1333年までの時代を?
➔ 正解:鎌倉時代
③ 将軍と主従関係を結んだ武士のことを?
➔ 正解:御家人
④ 将軍が、以前からの領地を保護したり、新しい土地を与えたりすることを?
➔ 正解:御恩
⑤ 御家人が、戦時に一族を率いて戦ったり、警備をしたりすることを?
➔ 正解:奉公

法務博士の眼:教科書を超えた「ハッキング」の真相へ

さて、テスト用の勉強はここまでです。
でも、不思議だと思いませんか?
「なぜ頼朝は、天皇の土地に勝手に自分の部下(地頭)を送り込むなんていう『厚かましい要求』を通せたのでしょうか?」

これは現代で言えば、一企業の社長が「テロ対策だから」という口実で、国税局や警察の権限を勝手に使い始めるような、とんでもない「システム・ハッキング」なのです。

なぜ朝廷はそれを許したのか? 頼朝が仕掛けた「法律の罠」とは何か?
歴史の裏側に広がる、冷徹な「権力奪取のOS」を知りたくなった方は、こちらの特別講義を読んでみてください。

▼ 【大人の日本史】源頼朝による「国家ハッキング」の全貌